2005年9月 5日 (月)

沖縄で60年前に起こったこと2

読谷村の村民は、70キロの山道をたどって、北部国頭村へようやく着いたが、米軍の捕虜になった。

当時「捕虜の辱めを受けず」という東条英機が山本有三に依頼して作成したという、軍人訓が日本国民に行き渡っていたから、捕虜になることを潔しとしない。捕虜となるより、死を選ぶ人が多かった。多くの自殺者が出たし、捕虜となることは、死の覚悟であった。

kif_9509 当時のフィルムを見ても、年端もいかない子供が米軍兵士におびえて、震える姿がいたましい。捕虜の扱いが国際条約で決まっていて、虐待されることはないとはほとんどの国民は知らなかった。

中国戦線に行った従兄弟のKさんは、捕まったら殺されると覚悟していた、といっていた。ということは、捕虜は日本の軍隊ではお荷物、自軍さえ食い物がないのに捕虜に食料を与えられないから、殺すのは当然であった。

KIF_9536 KIF_9537 ところが、国頭村村民は米軍から食料の補給を受け、彼らはその厚遇を喜んでいた。それを日本軍は双眼鏡で監視していた。

軍の兵士よりうまい物を食い、米軍の扱いに喜んでいる。放っておけば、日本軍の機密をすべて米軍に筒抜けになる。それで、軍部は、村民の処刑を決定した。ある夜、住民を浜辺に連れて行き並ばせた。仲村渠ナカンダカリ美代さん当時28歳が語っている。

KIF_9540 仲村渠ナカンダカリ美代さんは、前列の右端に立っていた。その後に幼女を抱いたお母さんがいた。その幼子は母の腕の中で眠っていたという。

軍人が村民の前に立ち、何か処刑に関することを語り、手投げ弾を投げつけた。そのとき、仲村渠ナカンダカリさんは端っこにいたせいで、無事であった。腕や足、死体がごろごろしていた。後の幼女は、血だらけでぐったりしていた。父親は、縛られて殺害された。箱の乗せられて運ばれて行ったが、その後どうしたものか、気になっていた。その60年後テレビ画面上での再会を果たした。

「日本男子だろ、死を覚悟で戦わんか」といって、壕から出て死ぬしかない戦いに駆り出す軍の構造は、一体なんだろう。ここに現代にも通じる問題点がある。閉鎖的な日本人の思考がある。異を唱えにくい日本の社会は一体なんだ。「和を以って尊しとなす」聖徳太子以来の伝統の欠陥がある。

これからは、多様性を認める社会を許さないとうまく機能しない。個人の尊厳、個人主義individuailty、個人の成熟を大切にしない日本社会はもう一度ダメになる。特に、政党、宗教、会社組織、上下関係の中で、個人の考えを許さないところに問題がある。

靖国神社に祭られるのは軍人(公務員)だけで、沖縄で犠牲になった村民、自殺した人々は国家、靖国神社から、祭られる対象には認められてはいない。多くの国民は、この差別を知っているのだろうか。靖国神社に参拝する自民党の指導者は、我々庶民のことを考えているのだろうか。

沖縄で60年前に起こったこと1

okinawa 憲法9条を改正するという政党の政策担当者に知ってもらいたいことがある。沖縄の悲劇、NHKが放送した番組であった。これは自民党の幹部に頭を下げがちなNHKとしては、よく放映した。

沖縄に米軍が飛行場がある読谷村の近くに上陸して、日本軍と戦うのは戦争だからやむ得ないかもしれない。島民と軍は一体になって戦うのだと盛んに言っていたのは、日本軍である。

KIF_9517 KIF_9518 それが形勢不利とみるや、軍は戦闘地域に島民、非戦闘員を残し、さっさと逃げる。「逃げる」という言葉は禁句だから、「転進」と言った。日本人は、言葉でごまかし、現状を直視しない傾向がある。残された島民は戦闘地域で米軍の艦砲射撃にさらされた。

米軍の圧倒的な攻撃で、絶望的な気持ちになる人が多くなった。畳一枚に一発の砲弾を打ち込まれ、死を覚悟した人が多くいた。

KIF_9504KIF_9503  「敵にやられるよりお母さんの手で殺してくれ」と病弱の人は足手まといになるからと自ら死を志願した人を見たと当時26歳の知花カマドさんは証言した。知花カマドさん自身もここの壕で5歳の息子を失っている。今までそのことを一度も語ることはなかった。

KIF_9483 歩けない人は、洞窟の中で窒息死を願って、布団に巻いて焚いた。元気な人はアメリカ軍一人でも倒して死のうと洞窟から出た。十数人の人が壕の外にぞろぞろと立ち上がって出たとき、知花カマドさんも外へ出た。付いてきていたはずの5歳の息子がいなかった。壕に戻って探そうとしたが、中は煙でいっぱい、とても探せなかった。その後、息子の行方はようとしてわからない。チビチリガマの集団自決である。

軍の指示は70キロ先の北部にある国頭村だった。道のない山中を歩くのは並大抵ではない。しかし、山中は食うものもない、

沖縄土産に不発弾が売られているのはご存知だろうか。戦時中にアメリカ軍が打った弾が今でも掘り出されている。私が沖縄に子にもらったのは直径5センチ、高さ20センチの砲弾だった。これを直撃したら完全に死ぬだろう。

沖縄戦を記録しないと、80歳、70歳を超して知っている人はいなくなる。それで企画された記録収集である。

2005年9月 3日 (土)

北朝鮮美女軍団 ねらい

KIF_9461 北朝鮮の選手は9名しか出場しないのに応援の北朝鮮美女軍団100名が、韓国仁川へきた。今月半ばから6カ国会議が再開される時に、韓国の若者に同胞意識を醸成しようと計画されたようだ。

仁川の公園には、マッカーサーの銅像が建っていて、最近これを撤去しようとする勢力がデモしたりしている。陰に陽に北の勢力はこれを応援しているようだ。

朝鮮戦争中盤で韓国+連合軍は、北朝鮮+中国軍連合に押されて負け続けていた。日本の新聞も、毎日、朝鮮半島の絵に北からの矢印が連合軍を追い続ける記事が載せていた。あと少しで釜山の港近くまで追い詰められる記事を、小学生の私も、ハラハラして見たものだった。このとき、後方基地の日本は、物資補給で特需景気で、日本の産業は大いに儲けた。朝鮮特需である。戦後復興が一気に進んだ。

そのピンチだったとき、マッカーサーは、追い詰めた北朝鮮+中国軍の背後から上陸したマッカーサー司令官がこの局面を打破した。

このころ、連合軍朝鮮現地司令官ウオーカー中将が戦死した。中将ともあろうものが、敵の弾に当たって死ぬなら、相当戦況が悪いと思った。朝鮮戦争経過:参考資料

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89  開かないときは、こちらを参考に

この北の南下時、韓国の村々に入っては、残っている人々を連れ去ったり、不足する戦闘員にした。これが南北分離家族の原因らしい。また、人民裁判をして相当数の人間を死刑、銃殺していると、いろいろの文書に書かれている。この裁判が妥当なものであるならともかくも、正確な資料がないから、断言は出来ないが、ずいぶんいい加減な調べで殺されているらしい。

「地上の楽園」建設という宣伝を北朝鮮は盛んにした。実態とかけ離れた内容を「地上の楽園」と偽って、人を連れ去って、帰国もさせない北朝鮮に首脳部の策略を見ると、日本人の感覚からは信じられない。戦争、あるいは外交は、平和時にもだましがあっても当然とする、北の考えなのかもしれない。

仁川上陸の成功で、従って、マッカーサー元帥は、韓国を解放した恩人であり、銅像を建てるだけの価値ある偉人となる。しかし、北から見れば、あと一歩でアメリカ軍を駆逐して統一できるはずだったのに、という思いがある。それで、南北分断の張本人と見られる。それで、銅像は撤去できる機運を韓国内で盛り上げたい、のが北朝鮮である。

KIF_9462 北朝鮮の得意な卓球大会には参加しないで、こちら仁川の大会に女子高生中心の美女応援団を100名送り込んだ。ここで韓国の青少年の意識に北との一体感を植えつけようというねらいがある。

日本に報道される画像では、韓国の青年たちに熱狂的に受け入れられている様子であるが、実際は以前ほどの熱気はなく、北朝鮮上層部は韓国の空気が読めていなかったという分析である。

KIF_9460 画一のユニホームで、同じ髪型、一律の団体行動、これでは韓国の若者にアピールしないという。今回の美女軍団は失敗だったとの解説がある。

アメリカと北朝鮮が戦争したら、どっちに味方しますか。という設問では60%が北朝鮮に味方する。しかし、北に住みたいですか、という設問では誰も若者は住みたいとは思っていない現実がある。

日本の美女軍団を中国や韓国に派遣するといく内閣府の企画があったら、これはイラクへ自衛隊を派遣するより安い費用で、親善効果が上がるのではないか。

2005年9月 2日 (金)

ゴーストライターのあり方

著作代行とも言うが、ゴーストライターは、著者が多忙な場合、あるいは書く作業が不得意な場合、著者に代わって一冊に本にまとめる人を指す。

NozawaKk

ゴーストライターは、書いてほしいと思う人に代わって執筆するのが仕事である。話すことは出来るが文章にまとめるのは苦手という著者もいる。何十冊も出版している有名な人で、一冊も自分で書いていない方がいた。

著者となる方から話を聞きだして、文章をまとめるのが、仕事である。頭と手の分離である。著者の考えに補充して書ければ尚よい。

著者の話を何度か聞いてそのアイディアをまとめる。書き上げるまで、頭の中が妊娠しているような感覚である。書き上げて、著者がOKが出るまでは必死である。

一つの構想で書き続けてようやく一冊にする。内容や文章表現を推敲していたら、普段書き続けていない人には、かなりの負担になる。有名にになればなるほど、文章を書く時間はとれないだろう。

負担が大きい割りに、社会的な地位が確立していないし、人前に顔を出してはいけない存在である。私が受けた仕事として、以下のよなものがある。http://www.nozawa21.com/Gyoumu2/Gost.htm

ゴーストライターは、名前が出ることはない。出たとしても、「著作にあたり○○さんに多大なご協力を頂いた」と一行である。編曲者なら、名前も、著作権もそれなりに保護されているが、このゴーストライターは、編曲者の立場と同じか、それ以上なのに、著者の影に隠れていて当然とされている。

ゴーストライターの地位向上で何かしないと、この仕事をする人が居なくなるのではないか。しかし、ここでゴーストライターが声上げたら、あのゴーストライターは使いにくいとなる。そこに難しさがある。仕事となったら、影の存在としてゴーストライターがゴーストでなくなったら、需要がなくなる。

大統領のスピーチライター代議士秘書と同じように、その脇にいて役立つ存在でなければならない。社会的な立場のある方が存在を大きく示すためには、一人ゴーストライターを抱えているとずいぶん有利になる。それが、今後のゴーストライターのあり方の一つかもしれない。

ブッシュ米大統領は、ゴーストライターがいなかったら、存在できないだろう。ほとんどの仕事はゴーストの手を借りている。ライス長官は、ブッシュのゴーストみたいなものだ。

2005年8月17日 (水)

靖国神社

KIF_9194 英霊に捧げる花嫁人形

大東亜戦争で亡くなられた方々の大半は若者であった。その中には妻を娶ることなくして散華した方々も多い。ご遺族は、独身で戦死していったわが子のために、わが兄弟のためにと、せめてもの願いと祈りを込めて当神社の御神前に花嫁人形を奉納された。

 遺書や血なまぐさい遺品の展示の中に、場違いのように花嫁人形が並んでいた。気の毒な存在を作り出している事実は、否定しがたい。

2005年8月16日 (火)

靖国神社 8月14日(3)

KIF_9164 陸軍中佐が日本に残してきた生後3ヶ月のわが子Ikunn に、死を覚悟して遺訓を残している。これは軍人の手紙のお手本である。彼は多くの将兵を連れて、困難な戦場へ行くと書いてあるから、満州から南方諸島に行ったのだろう。

陸軍中佐沼田正春 野砲第一連隊 戦死時31歳 昭和19年12月2日レイテ島リモン西南方面 神奈川県出身 現在生きていれば92歳。典型的な激戦地で死んでいる。徴兵された一般兵士では尉官、佐官にまでは昇進できないから、この人は、職業軍人。多分、近所では誉れの家だっただろう。

私の知っている神奈川県出身の方は、一兵卒で、日本のために必死に戦った。そして、戦後一貫して、二度と悲惨な戦争をしないように、平和を大切にという信念を貫いておられた。戦争に傾きかかる政治にいつも意見を投書され、生真面目に戦争反対を唱えておられた。実際戦場に行った人ほど、平和を大切に思っているようにみえる。

階級の高い方には戦争を別の角度から見て、国際社会から見た日本のために戦う必要があると思うのかもしれない。

戦意高揚、銃後の守り、この靖国神社の中はマッカーサー元帥も手を付けていないから、まるで戦前の日本が残っている。KIF_9201 KIF_9179

KIF_9231 KIF_9184 Sirplane_9182HumanGyorai9197

ここまでが、日本軍の自慢の兵器。最後の写真は3人乗り人間魚雷だから、自慢はできない。KIF_9219 Rappa9208 日本は情報がないから、アメリカがどれだけ進んでいるかしらなかった。KIF_9210KIF_9211

このあとは、実際のもの、兵士が使っていた品。まだ形が残っていて、使えるだろうが、貧弱な物が多い。兵士の戦闘意欲は強かったが、戦争の末期はもうボクシングを見たことのある人なら、タオルを投げ込んで試合を止める時期だった。しかし、なお試合を続けて日本のダメージを多くした。その責任は誰だ、という問題がある。

opinion9235 遊就館で感想を書くノートがある。そこに無記名意見がたくさんあった中で、良識あるメッセージがあったので、写してきた。拡大して読んでください。

2005年8月15日 (月)

靖国神社 8月14日(2)

Senbotu9196 Senbotu_9238

「戦没者」という日本語には、醜いものを覆い隠す魔力がある。「戦没者」の生前の元気な顔からは、死地に赴かせた責任者は思い浮かばない。「戦没者」が祭られたら、死が清いもの、正しいものになるのではない。「戦没者」の醜い死、むごたらしい死は、ここからは見えない。

「戦没者」の体がちぎれて、内臓が見える死体として並べたら、戦争の責任者、戦争というものへの訴えが沸く。平和への希求が生まれる。そして、「戦没者」一人ひとりの死者のうらみ、叫びが聞こえるだろう。

1銭五厘の赤紙で徴兵できた時代、貧困から軍隊に入った人、喜んで日本郷土のためにと14、15歳の少年が純粋な気持ちで命を捧げた。

Dog9256 Hose9253Oitakenn9265日本と日本の人々を守る兵士の追悼、顕彰の場である靖国神社は、それはできないだろう。死地に赴かせるには、国民を怖気づかせるわけにはいかない。そして、日本の戦争は正義の戦いであった、これを主張し続ける場が必要である。

Yasukuni9150Yasukuni9149

戦後の日本は、欧米戦勝国から、国民の思想さえ変更させられて、昔の日本のよさを知っている人からすると、大いに歯がゆいだろう。

しかし、あまり「日本、ヤマト魂」を強調されると、クビをかしげてしまう。戦前の思想統制の時代がいいとは思えない。英語を禁止して、ストライクを「一本」と言ったり、ボールを「駄目」と言い換える日本人のヤマト魂の悪い面もある。そうしている間に、アメリカは日本語を勉強して、暗号を全部解読して、情報戦で先を越していた。山下奉文の死がその一つだ。

日本は、優秀な戦闘機、零戦を持っていたから最初は勝ち戦を続けていた。アメリカは零戦を捕獲して再生して、実験研究した。その結果、降下速度に弱点があることを発見されて、アメリカの戦闘機は追尾されたら、急降下すれば零戦は追いついて来れない。それからは、アメリカ軍機は急に強くなったという話がある。

日本は日露戦争までの古い勝ちパターンの踏襲に固執していた、と司馬遼太郎は著書で何度も強調している。

 一つ書き忘れたが、靖国に祭られるのは、国家の公務を行っていたときの戦死者であり、空襲で死亡した人は含まれない。靖国神社は、国家の体制の中で守られていた人、今で言えば、公務員しか入っていない。普通の市民は靖国神社には入れてもらえない。入れてもらえたら、お金がもらえるとか、そういう恩典はないが。

2005年8月14日 (日)

靖国神社 8月14日(1)

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Soldier9159

三人の兵士が行進始める前、彼らはこの暑いさなか軍服を着て準備していた。

「すみません、一枚写真撮らせてください」と声掛けてみた。一番若い兵士(一等兵)が喜んで気お付けの姿勢で前を向いてくれた。隣の上等兵も気お付けの姿勢をとってくれた。旗を持っている古参の上等兵はまだ準備中だった。

号令をかけて行進を始めると、後に一人女の子が付いてきている。変だが、別に違和感がない。違和感のなさが不思議な気がした。この60年も前の陸軍の兵隊そのものだった。芝居かな。

Syamisenn9146 Yasukuni1三味線で軍歌を弾いている人、彼もまだ日本軍は負けていないと信じている組か。彼は戦前の日本のよさを知っている数少ない人なのかもしれない。{すみません。写真撮らせてください」と断って、彼のパフォーマンスを記録した。

靖国に問題をとやかく言う前に、私が見た靖国神社の中はどんな様子なのか、ご紹介したい。

2005年7月30日 (土)

道路公団の堕落

Uchida 内田副総裁が逮捕されて、やっとみんなが注目し始めたが、猪瀬さんが質問したとき、「K(かつら) 会を知りません」とシラを切って、審議会(民営化推進委員会)をボイコットしてクローズアップした。今、そのK会が巨額の橋の工事を談合で決めていた事実が表面化した。

TV郵貯から湯水のように入ってきた巨額の金※、道路公団内部でかって使われていた。それを仕切っていた人物が逮捕された。国民の関心がないと、問題を縮小化され一件落着となっててしまう。追求の手を緩めないで、関心を忘れないでいたいものだ。

1117公団本体は、放漫経営で巨額の赤字を出していながら、天下り先の子会社は巨大な黒字でお金は余っている状態である。民間会社だから、黒字の分だから利益と割り切っているが、公団の仕事をファミリーン企業が独占しているのだから、そりゃないだらろう。普通の人なら、そう思う。

談合や天下りの渦中にいると、そんなことは当たり前で、個人の利害しか頭になくなる。全体が見える個人というものがないと、日本の将来はどうなるだろう。

※今国会で問題となっている郵政改革は、ここが問題である。郵便局がなくなるとか、不便になるkとか、問題の焦点がボケている。郵政改革の基本は、お金が流れていくのをまず止める。

国家の財政赤字が国民(赤子から死にかかった老人まで含め)一人630万円の借金を背負わされているという。こんな赤字を誰が作ったか。責任を取らない人間が次々に借金していって、国家のお金を無尽蔵と思って計画を立てたバカが居るわけだ。

そのバカの代表が、道路公団と社会保険庁が槍玉に上がっているが、道路にまつわる税、自動車税、これらの中に不明朗なお金の使われ方があるはずだ。

2005年7月26日 (火)

逃げる男 犯人

RunMan35 上大岡駅で殺傷して逃げる男。

こうして写真に撮られてしまうと、見つかるのは時間の問題だろう。写真ははっきりと映っていないが、知っている人が見れば、わかる。

警察官のピストルの代わりにカメラを持たせて、ピストルを撃つ前に写真を撮っておき、捕らえる。このやり方は手間は掛かっても確実に捕らえることができそうだ。

町には防犯灯と一緒にカメラがあれば、かなり治安が保てそう。基本は人間の教育が一番だが、ここまで社会の治安が悪くなると、まず応急措置が必要。

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