2005年6月24日 (金)

がんばれ拉致被害者

YokotaMegumi8237ニュース見ていますか。拉致家族の人たち、座り込みのデモンストレーションを始めた。この暑いのにがんばっている。横田めぐみさん、拉致されて30数年。小泉さんの「対話と圧力」というキャッチフレーズには飽き飽きした。

10年前なら、これだけの拉致問題に理解が国民になかった。社会党と自民党に大きな責任がある。自民党の金の延べ棒の故K氏、社会党T書記長、北を訪問も金日成に丸め込まれた。私も、何を隠そう、北朝鮮の社会主義政権だから、いいことと考えて人のためにやっているのだろうとずーっと半ば信じていた。

それでも、疑問だったのは、朝鮮動乱と言われたころ、北軍が中国人民軍の支援で、38度線を南下して村を占拠すると人民裁判をしてかなりの無実の人間を殺害した。その際、韓国の人々8万人を北へ拉致している。そういう無茶な人材がこの政権の中枢にいるとは思っていた。

北朝鮮と韓国は、今も戦争しているという状態には変わりがない。政権はスパイ、五人組のような監視体制を敷かないと持たないと言われている。中枢で真実を知っている幹部が逃げ出す国では、崩壊寸前に至っている。もう一つ、政権内部に北のシンパの人間が入っていると思わざるをえない。

資料によると、北朝鮮の石油消費量は、日本で言うと、一つの県、福井県の消費量とほぼ同じだった。それで2000万人を支配している。その国が原爆を数個から20個作ってしまったという。照準は東京に向けられているという。

Kanboutyoukan8236拉致問題では、横田めぐみさんの骨だといって出してきたものは違う、と立証したときの北朝鮮のあわてぶりには、滑稽ささえ感じた。ところが、もうあのときの事実さえ、今日本国民は忘れてしまっている感がある。もっと怒るべきだ。怒りを持続するべきだ。

日本は専守防衛というが、それは自国民を守ることではないか。確証が得られれば、北へ行って日本人を奪還してきていいのではないか。これは法律上の緊急避難に相当する。外国を攻撃する意味合いとは、違うはずだ。

KimuJonilu_8249戦前の日本だったら、朝鮮上陸してピョンヤン占拠して、金正日監禁しているでしょう。これだけ、やりたい放題されても、小泉総理はまだ圧力をかけないという。

金正男が日本へ不法入国したものをすぐ退去させたのは、一体どういう考えだったのかと思う。あのときの外相は田中真紀子さんだった。あの人でさえ、北を怖がっていた。あの時、あのまま、金正男ジョンナムを留置しておけば、かなりの拉致被害者を取り戻せたのではないか。

もう一つの提案。六カ国協議で拉致問題を議題に乗せないなら、日本は核武装すると宣言するくらいやってほしい。中国、ロシア、アメリカ、韓国を驚かすくらいの手を打って、ダダをこねてもいいのではないか。

Ykota_8264座り込みの拉致被害者家族は、腰抜けの政治家と違って、根性座っているように見える。

2005年6月 8日 (水)

小説「孫子の兵法」2

二度目の戦いでは、孫濱は同じ作戦は取らなかった。

SonsiHeihou 斉の孫濱は10万の兵士を率いていたが、食糧が尽きてきたと敵を欺き、一斉退却をする。わざと穀類の袋に砂を詰めて積み上げて残した。退却には一日目は10万が3万人逃亡して7万人に減り、次の日には5万人と、兵が次々と逃亡したように見せた。竃でご飯を炊いた跡で実勢の勢力を魏の国に理解させた。これが孫濱の兵法であった。

それ、と20万の魏軍が追いかける。孫濱の斉軍は3万人に減っている。それを追いつめようと、いっそうホウケンは深追いした。

「斉軍はここを通らなかったか」魏の兵士が聞くと、地元の農夫が答えた。「どこの軍だかわからないが、二、三日前から兵士が相次いで通って行った。最後に幌馬車が通って行ったのが最後だった」斉は敗軍となって、まとまっていない様子が知れた。「チャンスだ。孫濱をい生け捕りにするチャンスだ」

「日は暮れたし、ワナかもしれない」と部下はホウケンを諌めたが「きょうがチャンスだ、日が暮れようが、斉軍を壊滅できるチャンスだ」と暗闇の中、突き進んだ。道が倒木でふさがれていたところに魏の大将ホウケンら一行は来た。そこには、木の幹を削って何か書いてあった。暗くて読めないから、松明をつけてみると、「ホウケンはこの樹の下で死す」と読めた。

松明の灯りがついた途端隠れていた斉軍は一斉攻撃を開始した。弓矢は明りに向かって放たれた。ホウケンの体にはが800本も刺さって死んだ。地元の農夫に扮して斉軍の様子を教えたのも孫濱の策略だった。孫濱は魏の国とホウケンへの敵討ちを成し遂げた。

「敵を思うように動かすには、敵に餌を見せて、敵がこれに食らいついくようにせよ。こうして餌で釣っておいて、兵を待ち伏せて撃てば、きっと勝つことができる」(孫子の兵法)

春秋戦国で既にあらゆる人間の思考回路に関しては考えつくされ、中国本家では、「孫子の兵法」は子どもでも知っている常識。それが10数億の民の中から特に知恵の回る者が、外交の専門家になっている。であるから、日本の総理が「正直に適切に判断する」程度の知恵で立ち向かえなさそうだ。

2005年6月 7日 (火)

小説「孫子の兵法」1

SonsiHeihou 「孫子の兵法」は、紀元前の春秋戦国時代のころのことである。足切断して刑とするとか、忠誠の証として妻を殺すとか、人間の営み、本能は限界まですべて分析、人間の知恵も極限まで描写している。多分人間、こういうことをやって、子々孫々生き延びてきて、現在の人間が存在しているのだろう。

斉の国にいたマゴの孫子(孫濱ソンビン)が魏の国の大将にになった友人ホウケンから手紙をもらい、魏へ招待されていく。ところが、魏では、ホウケンの策略で孫濱ソンビンを斉のスパイであるとされ殺されかかった。殺されない代わり、孫濱は両足を切断され、かつ額に黥(イレズミ)をされ魏に幽閉された。このような姿では生きていくことは困難である。

孫濱は知恵を絞って「きみのおかげで、命が助かった。感謝している」と彼を油断させようとした。廃人になりきり、チャンスをうかがうが、なかなか友人を油断、安心させるまでには至らない。

何年後か、祖国斉の国から大臣が来た。歩けない孫濱は、買収した人間に手紙を持たせ、救出を願った。その数日後、とうとう救出されて、斉へ帰り、軍事顧問になった。

これからが、「孫氏の兵法」の最後の部分である。斉の国の軍師となった孫濱の逆襲である。

魏は隣国との戦いで本国が手薄になった隙に、孫濱の斉軍は突いた。勝ち誇っていた魏の大将ホウケンは本国が攻められたと聞いてあわてて帰国。孫濱はすぐ引き上げ、魏の軍隊が戻るとき通る関門、隘路で待ちうけ大勝利を得る。

「敵の大将は誰だ」「孫濱という男です」「孫濱は歩けないはずだ」「ほろのついた馬車を駆使して指揮しています」「殺しておけば、魏の軍隊がこれほど惨めに負けることはなかった」とホウケンは悔やんだ。

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