2005年10月 6日 (木)

ハルとナツ(ブラジル移民)

harunatu

kasado01 笠戸丸でブラジルへ移民した人のドラマ。いい作品になっている。NHKが一年がかりで作った作品。5回連続のきょうは5回目、最終日。

日本からの移民奨励に応募してブラジルへ移っていった人の悲しみ、喜びを橋田寿賀子のシナリオで描いている。日本に残る妹ハル、ブラジルに渡る姉ナツと分けて、日本の歴史、ブラジルの歴史を織り込んで、70年。お互いに手紙が届かず、お互いに誤解していたことが、文通をした手紙が発見されて、一気に70年の軌跡が理解しあえる筋立てになっている。

都合がよすぎるストーリーだけど、こうしないと、日本とブラジル、ハルとナツ、両方を描けないだろう。両方を均等に扱いすぎている気がする。むしろ、ブラジルに力点を置いてもよかったのではないか、とも思う。

b_haru_050930_kaiken 毎回、貧しかった日本の歴史をこれでもか、と見せられて、貧しいながらがんばってきた幸せもあったと涙してみている。ブラジルの日本「勝ち組」の存在があることは知っていたが、これは日本を思う真情は涙のこぼれるほどの愛国心だね。

移民一世日本人のご苦労は、あまり知られていないが、多くの非業の死をした人々の残り、ともいえる。よく今日まで生きてきたもの。こんなドラマを見せられて、泣くお年寄りがいても不思議ではない。

日本という国が、国民をかなりの数、捨てた歴史ではないか。ブラジルへ棄民、満州へ棄民、こういう事実はある。満州からの引き上げの話も取り上げられてしかるべきではないか。

《あらすじ》
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左から仲間由紀恵、米倉涼子、橋田壽賀 子、森光子、野際陽子

 1934(昭和9)年、北海道の開拓村(架空の村)での赤貧洗うがごとくの暮らしから抜け出すべく、ハル(9歳)の一家はブラジルへの移民を決意。だがハルの最愛の妹・ナツ(7歳)だけが眼の病気のため神戸港から船に乗れず、二人の姉妹は引き裂かれる。
 ハルのブラジルでの移民生活は、いばらの道の連続。日本に残されたナツも戦争に翻弄され、苦しい生活を強いられる。姉妹は、互いに綿々と手紙を書き続けるが、運命のいたずらが二人の前に立ちはだかる。ともに相手の手紙を手にすることが出来なかったのだった。

b_haru_title http://www.nhk.or.jp/sapporo/bangumi/b_harutonatsu.html

【ブラジル移民メモ】

日本人のブラジル移民は、1908年(明治41年)の「笠戸丸」から始まった。
サンパウロのコーヒー農園が労働力不足に悩んでいたこと、1907年の協定により日本人のアメリカ移民が難しくなったことが相まって開始された。その数は1908年から戦前が19万人、戦後は5万人。ピークは1925年~36年の昭和初期であり、ドラマ内の家族の移住も1934年(昭和9年)の設定にしている。

その9割が、コーヒー農園の契約労働者で、低賃金であった。ほとんどは、金をため故郷に錦を飾りたいという出稼ぎ移民で、それがかなわず永住が定着するのは戦後だった。西日本出身者が多く、12歳以上を最低3人含む家族移民が基本だったので、女性も多かった。
また、サンパウロ州の中部・北部のコーヒー農園での数年を経て、1920年代後半からは、北西部やパラナ州などへ移動、綿作などの独立農となるケースが多かった。サンパウロ州最奥地に、幾百もの日系集団地を築いた。
1937年ブラジル政府により、日本語による学校教育、日本語新聞の発行、日本語の集会が禁じられ、日米開戦後、規制はさらに強まった。戦後、日本の勝敗をめぐって、いわゆる「勝ち組」「負け組」という日本人同士の対立があった。

現在、ブラジルの日系人は140万人ともいわれるが、8割以上が都市に住み、ほとんどが中産階級となっている。
公式HPより

2005年8月22日 (月)

坂本九 柏木由紀子

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12チャンネルで「坂本九」物語をやっていたので、つい見てしまった。彼の歌ったのは「上を向いて歩こうよ」「見上げてごらん夜の空」等々、歌いやすい歌だ。

今は、この種の歌がないのか、不思議だ。このような誰でも歌える歌は、逆に歌手としての歌唱力、個性がないと聴かせられないのかもしれない。坂本九が紅白初出場のとき、あの緊張した表情が忘れられない。間奏で口笛を吹くとき、緊張のあまり口笛が鳴らなかった。その失敗もフアン、観客は坂本九に思い入れして見ていたように感じた。

夏休み中で、日航機が群馬県の御巣鷹山に落ちたというニュースを聞いたのは、東京湾の中にある戦時中に軍の要塞だったHouyou_9343 600812 猿島の浜辺にいた時だった。携帯ラジオで川上慶子さんがヘリコプターで吊り上げられて救助されたニュースを聞いた。

その中に坂本九が含まれていたということは、後から聞いた。後に、歯型から人定鑑定の先生の著書を手伝ったとき、坂本九のことを調べたが、ジャンボ機の中の人骨はほとんどがむちゃくちゃで、ミンチの中から人を探す状態。そして、真夏の死体、臭いは想像がつかない。先生は、法医学(歯科)の観点からの著書だった。http://www.nozawa21.com/Gyoumu2/Gost.htm

Bangumiテレビでは、柏木由紀子をともさかりえがいい感じに演じていた。柏木由紀子の雰囲気を出していた。

この時高校野球を聞くため、旅行に携帯ラジオを持っていったのだった。PLの清原、桑田はすごかった。大人が子供のチームと試合をしているような対戦で20数点対一桁の点数だった。

2005年8月 3日 (水)

二十四の瞳

24Hitomi Matue1 松江は、母がお産で死亡、大工の父も不況で、小学校の途中でやめて大阪へ奉公に出されてしまう。お弁当箱一つも買ってもらえない貧困、昭和5年か、6年頃、これがどこの町や村にあった日本の現状だった。大石先生が餞別にアルミの弁当箱を手渡すシーン。

Matue3松江の後には、大阪につれていく女衒がタバコをくわえて立っている。大阪に行けば、洋服も買ってもらえるし、お金がたくさんもらえると聞かされていた。

岬から本校へ通っていた六年生が修学旅行で金比羅へ行くと、そこに松江が働いていた。大阪に行く話しがいつの間にか金比羅で働くことになっていた。

Metue2 同級生が修学旅行に来ているのに松江は皆に会いにいけない。金比羅を離れる船を見送る松江。松江に思い入れをして見ると、泣ける。

船の上では「浜辺の歌」を松江に聞こえるように大石先生が皆と歌う。ここは、高峰秀子の旧作では、歌手希望の女の子が歌い、力が入っていた。

hunenoUe2 旧作では「浜辺の歌」が印象的に扱われていたが、今回は、船上シーンが、割と軽くなっていた。

戦争を体験しない世代が多くなり、戦争シーンを入れないと、社会の中でいかにその重圧があったかは伝わらないのだろう。

昭和二十年代に見た「二十四の瞳」は、戦争、生活苦、全部身の回りにあった問題だった。誇張も、説明も不要だった。しかし、今の人たちにそれを感じるのはムリだろう。

24 これが旧作高峰秀子の「二十四の瞳」だ。十三、十四歳の心に突き刺さる感動だった。その十年後、小豆島に行ったのも、ここに起源があった。

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2005年6月 1日 (水)

「釣りバカ日誌15」ロケ隊が秋田へ来た

TuriBaka 「釣りバカ日誌15」ロケ隊が 秋田西木村(田沢湖)へきて、大騒動したというおばさんの話を聞いた。

ここの家は妻の母の実家で、明治初年の建築という古い歴史のある家、庭も広く、まわりは田んぼ、田んぼの田舎である。

話は、江角マキコの薫が祖母の家を訪ねたという設定らしい。薫の祖母の家にこの実家が選ばれた。おばさんのおじさんも、定年退職して時間もあるからでもないだろうが、バスから薫が降りてくるシーンの乗客におばさんエキストラに出たという。相当回数リハーサルをしたようだ。

DSCN0008また、ロケ隊の控え室にここが利用された。なにせ、おばさんの生まれた家はお客あしらいが上手で楽しい家だから、みんなが集まってくる。そんな MissAkitakomati7868 使い勝手のいい家は、有名な映画ロケ隊でもそうそう都合いい家に当たるものではない。 だからか、江角マキコさんとウチの人たちはたくさん記念写真を撮っていた。

孫娘(ミス秋田小町)、江角マキコと記念写真。池に落ちたスズメを江角さんが助けて、託して東京に帰ってから、そのスズメに餌をおばさんに送ってきたという美談で新聞は報じている。このとき、江角マキコさん、「国民保険未加入騒動」から復帰後、1号作品?だったのかな。

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