2005年9月 1日 (木)

手紙検閲 昭和25年頃

OpenLetter 昭和4年の早生まれのT兄は、終戦の風潮を一番謳歌していた。

うちの兄弟で一番流行に敏感であった。リーダーズダイジェストを毎月買っていたし、ベレー帽を被っていた。女の子を集めて、手回しの蓄音機でレコードを掛けてダンスをしていた。

時々女の子が訪ねてきて、T兄はコソコソと外に出て行き、路地の陰で立ち話をしていた。単に立ち話だったが、それをつけて行って、のぞくのが当時の子供の楽しみというか、風習だった。

田端義夫の「ハワイアン航路」の歌が流行っていたから、あれに影響されたのだろう。白いズボンにビニールの透明なベルトをしていた。当時の芸能雑誌「平凡」には田端義夫がハワイロケで現地の背の高い女性と親しくなって、結婚したという記事が載っていた頃だと思う。後に離婚したが。

リーダーズダイジェストは、アメリカの雑誌の翻訳版だったが、兄貴は雑誌の折込ハガキを送って契約して毎月取っていた。この内容は、アメリカの雑誌の直訳であまり、興味引く内容ではなかった。東京へ来たとき、毎日新聞社と隣併せに会社見つけたと奇妙な懐かしさを感じた。

この投書の方の検閲された手紙の話で思い出した。T兄のところに来ていた手紙も検閲してあった。ラブレターかどうかは、小学生の私にはよくわからなかったが、封筒の下がハサミで開けた後にビニールテープで「OPEN  HERE」だろうと思うが、「開けました」という意味が英語で書いてあった。

Kenetu 開けた封筒の底が「接着ビニール」で閉じてあるを見て、ヘーエすごいものがアメリカにはあるもんだ、と感心した記憶がある。その頃は、日本にはセロテープもないし、張り合わせるには、うどん粉を煮て糊にしたものだ。市販の糊は「不易糊」が第一号だった。

進駐軍は全国どの町にも来ていたのだろう。中津の町にも、軍人ではないが、教会に2名の若いGHQが二名来ていた。彼らは、GHQを代表して教育委員会へ行って指導をしていた。車は、茶色の濃い色したジープではなくセダンとオフロードカーの中間の車種だった。それで町中を駆け回っていたから、目だった。

中津の町では、英語が使える人は、商業学校の菅井先生、教会の水垣牧師、あと旧本陣の市岡先生(女性)の三人だったそうだ。市岡先生が一番若くて、このGHQに付き添って通訳をしていたと後に聞いた。昭和22年~25年ころだろうと思う。

2005年7月23日 (土)

女子大生殺人放火(柴又)

Shibamata8 柴又三丁目女子大生殺人放火事件 事件は、平成8年9月9日(月)だった。

絞殺して、灯油をまいて火をつけて逃走したというのが事件の概要である。小走りに柴又駅に向かって走る男を見たような話は伝え聞くが皆目見当が付かない。被害者とつながりのない単独犯行では、犯人にはたどり着けない。都会の犯罪は捜査が困難というのは、通例。世田谷の一家四人惨殺事件も同様に犯人の目星が付きにくい。

解決のめどががなく、長い年月が過ぎている。ポスターもくだびれてきている。上智大学の優秀な女子大生だったゆえに、この死が惜しまれる。アメリカ留学直前だったと聞く。

事件から一年後だった。解決の糸口もつかめないらしく、「事件の日、何していましたか?」と訪ねてきた警察官、私に聞くのだが、そのときローラー作戦というか、地域を調べ始めたのだった。遅い。

事件当日の日記はフロッピーに保存していたので、警察官が居る前で、探した。あった。雨が少し降っていて、郵便局へ何の用か二度出かけていたみたいだった。

「事件は何で、どうやって知りましたか」と次に聞かれた。多分翌日だろうな。忘れているものだ。

今頃、犯人はきっとのうのうと過ごしていると思うと、きわめて残念。駅周辺などに防犯カメラで目があるときっと犯人検挙に実が挙がるのではないか。

ロンドン地下鉄駅でテロ犯と間違われ警官に射殺されたブラジル人が居たが、止まらずに逃げたのは、ピストルを出されれば強盗かと思ったに違いない。あれだってカメラで写して後日公開手配で、十分間に合う。

2005年7月12日 (火)

「‘か’が2つでなーんだ?」

Gfather8483  「‘か’が2つでなーんだ?」とクイズを出しながら、これは5歳の孫と歩いた。「じゃあ、‘ま’が9個では?」(答え、カニ/熊)

土曜日からうちに来て、日曜日を一日一緒に過ごした。5歳となると、おばあちゃんと一緒に虫取りは、走り回るから体力がついていけない。男の子の面倒見は、おじいちゃんの役目になる。

森の公園には、いろいろな生物がいる。人間が入り込むに従ってだんだん生き物が少なくなってはいるが、きょうはでんでん虫がいた。まだセミも出てきてない。チョウもすくないし、トンボも少ない。

katatumuri_8471 でんでん虫はあんがい大きい方かな。動きはおそいから、すぐ捕まえられる。母親の娘は嫌がっているが、彼は虫なら何でも好きというくらい好き。公園の入口でアリが自分の身長の10倍以上のワラ藁をくわえて運んでいた。ブロックの壁面をよじ登って、最後上がりきるところが出来ないでいた。体が「てこの原理」の逆になるから、むり。それを彼が手伝ってやっていた。放っておけば、誰か他のアリが助けに来るのだろうか。彼はここで10分以上アリとつきあっていた。

昨年までは、まだ捕虫網で捕まえたチョウが取り出す作業が難しかったが、ことしはだいぶ上達した。

2005年7月 2日 (土)

My Friend 田口耕平 氏

My Friend 田口耕平 氏は、岐阜県恵那郡加子母出身。ここは中津川市から北恵那鉄道で終点、付知からまた奥に入る場所だ。そういう田舎だと思ったら、最近ではそうでもない。花の栽培とか、山持ちの富豪もいて木材業が盛ん。

彼は地元の校長の息子で、兄姉はみな教員という一族。昭和30年代の話だが、彼もかなりの秀才で中津の高校入学の成績は数百人中三番以内で、校長が父の知り合いで発表前に家に連絡があったとか。

Myfriend 教員にはならなかった彼は、糸ヘン企業で大きく稼いだのち、きっぱり引退して、悠々の生活して、今回は西アメリカのヨセミテ国立公園とグランドキャニオンへ行ってきたとメールが来た。

私も二年前に同じ場所に行ったことがあるが、まったく同じ景色。本当にいつもカリフォルニアは晴れている。http://members.jcom.home.ne.jp/4119094901/Yosemite/nYosemite1.htm

2005年6月27日 (月)

「恐竜展」長蛇の列

sanntyuu__8282 「恐竜展」にこれほどの人が集まるとは、予想できなかった。6月末の炎天下、これは暑い。「日本人って、これほど文化人だったけ?」上野公園の噴水広場を蛇行すること3回、そこから山登って国立博物館まで延々と列が続いた。「ごらんになるまでに2時間かかります」ここが「最後尾」というプラカードもつ係員のところへたどり着くのが大変だった。

一秒に一人の入場者がいるとして、一時間に3600人、それが朝9時から夜5時まで約8時間、すると2万8000人は入っている。まあ、3万人か。

Zaurusu_8295 麟太郎には、子ども用の説明ガイドを借りてきかせて歩かせる。子どもの頭よりレシーバーが大きくズレ落ちそう。最終日に近づき人が集まりすぎている感がある。

Zaurusu_8288 人気あるというか、よく知られている恐竜は、人がワンサと集まる。肉食恐竜、こんなにも大きい、という感動がない。知られすぎているのかな。いい加減歩いて、炎天下で並んで、疲れ気味のはずだが、最後におもちゃ買うということで、麟太郎は元気だ。目的のものを手に入れて外に出た。

kaidann8357 sa-kasu8349 ソフトクリームを買って食えばもう満足。大道芸サーカスを見て、あとはもういい。歩いて京成の上野から電車に乗ると、眠いと言ってねてしまった。

2005年6月20日 (月)

父の日プレゼント

FFlower8224 父の日プレゼントをもらいました。これが、息子だと、こういう種の気づかいは期待できない。大きい親切があるかもしれないから、トータルでは同じになるかもしれないが。娘は考えもしないときに親切にしてくれる。和貴兄弟の憎みあい起こる前の状態ともいえる。

男親としては、なにもしている意識はない。強いていえば、マゴの子守で点を稼いだかな。昔は父の日?母の日?そんなコマーシャリズムに踊らされる行事はなかった。ヨーロッパ式の愛の表現かもしれないが、日本は、従順に文化を取り入れる国だね。農耕文化の国ではなくなったから、当然といえば、当然。

これが、イスラム文化圏だと、そう簡単に自分の国の文化、風習を破棄しない。自国の文化に固執する。あっさり捨てる日本とどっちがいいのか。イラクのスンニ派は原理主義に近い。風習をきちんと守るタイプだから、イランとアメリカは、中世の十字軍遠征と同じ末路になるのではないか。

FEna_8212 長女は、私がいつも帽子をかぶっているから、気を利かせてくれた。右下は、国立博物館の「恐竜展」の入場券をセットにして、夫婦共々サイン入りメッセージ、ついでにアイラ(ゼロ歳)のグチャグチャサイン入り。ヨーロッパの行事、プレゼント意識が濃厚。お互いの気持ちを伝えあうのが、ヨーロッパスタイルのようだ。

FChika_8219 次女は、「クロコダイル」ロゴの入った部屋着。二人も子どもがいると、こまかいメッセージを書いたり、子どもに書かせるという手の込んだことはできない。いいものなら、それでいいという、感じかな。

子育てから解放され、今はマゴの子守という余裕。世代的には、あとはマゴの育つのを眺めていればいい。実際には、そんな余裕はない。

2005年6月17日 (金)

焼き場にとかげ

火葬場で待つ時間、人は一体何をすればいいのか。人の肉体の部分がまったく消えて、骨だけになって出てくるまで、この待ち時間、機械の性能によって違う。中津川市では、約3~5時間。

徹夜した斎場控え室から、午前8時過ぎ、斎場職員の指示に従って、男たち6、8人で台車に遺体を乗せて運ぶ。クルマで30分ほど山際の火葬場へ行く。神主さんの祝詞を最後に遺体を見送る。それから、ただ待つだけだった。午後一時が葬儀。

Tokage7686さわやかな晴れた5月末、 周り緑に囲まれた山の中に火葬場はあった。周りを歩くと、石の下からトカゲが出てきた。義兄の生まれ変わりだとは、いっこうに思わないが、なんとしても写真にとってやろうと近づくと、さっと大きな植木ポットの下に隠れてしまう。

何回もトカゲを追いかけて、カメラを構えるから、まわりの大人が怪訝そうに思って近寄ってくる。こんなトカゲを写真に撮る人も珍しいかな。

トカゲは人になつくこともないし、人から好かれることも少ない。恐竜の子孫かとも思われている動物。しかし、つやつやしたトカゲがどうやって暮らしているか、興味がある。

十二時過ぎには、焼きあがった。数日前までは、最長老として一家の重きをなしていた人が焼き場のストレッチャーの上で消えかかった白炭色の骨だけになっている。頭蓋骨と腰骨と大たい骨がわかるが、あとは白い灰だけだ。骨壷に入れた骨がとても熱いのが印象に残った。

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