2005年7月25日 (月)

東京震度5

東京震度5 久しぶりの震度5だった。パソコンの前にいて、震度の激しさにたじろいだが、一瞬逃げるか、家がつぶれるのを見るか、しばらくじっとしていた。木造家屋は一気に壊れることはないだろう。

次にテレビをつけて情報を知ろうとした。テレビはまだ情報が集まっていないのか、地震があった、という報道だけだった。

私鉄、JRなど、交通機関はことごとく停止となった。

9時までに京成は開通していたが、いつ電車が発車するか、時間はあてになりません、と駅員はいう。9時高砂始発で電車が止まっていた。乗客はほとんど乗っていなかった。八千代台まで座っていける。

「電車は金町行きの電車を待っている」とのアナウンスだった。数分待って、金町行きが着くと乗客が殺気立った勢いで乗り移ってきた。普段の乗客とは明らかに違って異様な勢い、雰囲気があった。一気に満員になった。

しばらくして発車。地下鉄新宿線の終点である京成八幡で止まると、ホームで待っていた客が乗り込んで、明らかに定員オーバー。通勤ラッシュを超えていた。幸い私は始発で座っているから他人ごとの様子を眺める余裕であった。それにしても混み様は尋常ではなかった。総武線や他の私鉄が止まっているから、京成に集まってきているのだらろう。

子どもは居ない時間ではあるが、乗客に悲鳴が聞こえていた。東中山、京成船橋、客は増えるばかりで、降りた客がいてもそれ以上に乗ろうとする。ホームに残される客もいるだろうが、座っている私は目の前の人が見えるだけだ。

大混雑の電車の中、船橋の手前で「すみません、気分が悪いので、どなたか席を替わっていただけませんか」と貧血気味の年配女性客が目の前でいう。私が代わるしかない。知らん顔しているわけにいかない。気分が悪くなって倒れろよ、とはいえない。倒れるまで我慢してしまう人もきっといるはず。

満州からの引き上げは、この程度ではないぞ。先の見えない満員の無蓋車、収容所、しらみ、病気、飢餓、生命の危険にさらされていたのに比べれば、満員電車の数時間はものの数ではない。それと比較は唐突すぎるが、この程度で人間弱ってしまうのか。

ちらっと、本当は席に座りたいからではないか。そんな疑問もわいたが、席を立って、前つり革掴まっていた人は手を放して私に代わる。顔色悪くて代わってもらった人はしばらく下向いて突っ伏していたが、しばらくすると元気になっていた。

津田沼では、電車が発車する直前、車掌「急病人が出ましたので、しばらくお待ちください」とアナウンスがあった。人はちょっとした加減で体調を崩すものだ。救急車を待っているのか、だいぶ待ってから発車。

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1時間半、通常の倍の時間がかかった。八千代台で乗客は降りたから、半分は空いただろう。多くの客は振り替え切符でももらう乗客が改札で列を作っていた。なかなか写真をとるタイミングがないので、このときはピークが過ぎていた。写真は勝手に撮る事がはばかられる。

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