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2005年8月 3日 (水)

二十四の瞳

24Hitomi Matue1 松江は、母がお産で死亡、大工の父も不況で、小学校の途中でやめて大阪へ奉公に出されてしまう。お弁当箱一つも買ってもらえない貧困、昭和5年か、6年頃、これがどこの町や村にあった日本の現状だった。大石先生が餞別にアルミの弁当箱を手渡すシーン。

Matue3松江の後には、大阪につれていく女衒がタバコをくわえて立っている。大阪に行けば、洋服も買ってもらえるし、お金がたくさんもらえると聞かされていた。

岬から本校へ通っていた六年生が修学旅行で金比羅へ行くと、そこに松江が働いていた。大阪に行く話しがいつの間にか金比羅で働くことになっていた。

Metue2 同級生が修学旅行に来ているのに松江は皆に会いにいけない。金比羅を離れる船を見送る松江。松江に思い入れをして見ると、泣ける。

船の上では「浜辺の歌」を松江に聞こえるように大石先生が皆と歌う。ここは、高峰秀子の旧作では、歌手希望の女の子が歌い、力が入っていた。

hunenoUe2 旧作では「浜辺の歌」が印象的に扱われていたが、今回は、船上シーンが、割と軽くなっていた。

戦争を体験しない世代が多くなり、戦争シーンを入れないと、社会の中でいかにその重圧があったかは伝わらないのだろう。

昭和二十年代に見た「二十四の瞳」は、戦争、生活苦、全部身の回りにあった問題だった。誇張も、説明も不要だった。しかし、今の人たちにそれを感じるのはムリだろう。

24 これが旧作高峰秀子の「二十四の瞳」だ。十三、十四歳の心に突き刺さる感動だった。その十年後、小豆島に行ったのも、ここに起源があった。

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