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2005年8月16日 (火)

靖国神社 8月14日(3)

KIF_9164 陸軍中佐が日本に残してきた生後3ヶ月のわが子Ikunn に、死を覚悟して遺訓を残している。これは軍人の手紙のお手本である。彼は多くの将兵を連れて、困難な戦場へ行くと書いてあるから、満州から南方諸島に行ったのだろう。

陸軍中佐沼田正春 野砲第一連隊 戦死時31歳 昭和19年12月2日レイテ島リモン西南方面 神奈川県出身 現在生きていれば92歳。典型的な激戦地で死んでいる。徴兵された一般兵士では尉官、佐官にまでは昇進できないから、この人は、職業軍人。多分、近所では誉れの家だっただろう。

私の知っている神奈川県出身の方は、一兵卒で、日本のために必死に戦った。そして、戦後一貫して、二度と悲惨な戦争をしないように、平和を大切にという信念を貫いておられた。戦争に傾きかかる政治にいつも意見を投書され、生真面目に戦争反対を唱えておられた。実際戦場に行った人ほど、平和を大切に思っているようにみえる。

階級の高い方には戦争を別の角度から見て、国際社会から見た日本のために戦う必要があると思うのかもしれない。

戦意高揚、銃後の守り、この靖国神社の中はマッカーサー元帥も手を付けていないから、まるで戦前の日本が残っている。KIF_9201 KIF_9179

KIF_9231 KIF_9184 Sirplane_9182HumanGyorai9197

ここまでが、日本軍の自慢の兵器。最後の写真は3人乗り人間魚雷だから、自慢はできない。KIF_9219 Rappa9208 日本は情報がないから、アメリカがどれだけ進んでいるかしらなかった。KIF_9210KIF_9211

このあとは、実際のもの、兵士が使っていた品。まだ形が残っていて、使えるだろうが、貧弱な物が多い。兵士の戦闘意欲は強かったが、戦争の末期はもうボクシングを見たことのある人なら、タオルを投げ込んで試合を止める時期だった。しかし、なお試合を続けて日本のダメージを多くした。その責任は誰だ、という問題がある。

opinion9235 遊就館で感想を書くノートがある。そこに無記名意見がたくさんあった中で、良識あるメッセージがあったので、写してきた。拡大して読んでください。

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