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2005年6月30日 (木)

雨のメランコリー懐かしく 

Rainyday8364 雨に打たれてたたずむ 青春のメランコリーが懐かしく 写真を撮ろうとした。ところが、雨の粒を写真にに撮るのは難しい。今のカメラは優秀がから、物体をきちんと写すべくシャッタースピードが自動的に速さが割り出されているようだ。その瞬間が切り取られてしまう。雨が糸や矢立のように目に見える残像を写すには、向いていない。

Ajisai_8368 Myouga_8361 Dainyday8362

2005年6月29日 (水)

かわいそうな本たち。

子どもが大きくなると、本が不要になる。いろんな本を買ってきては読ませて、これが血肉になっているのだ、親としてよくやったと思う。子どもはそんなことはなんとも思ってはいないだろう。

OldBooks 不要になった本、孫がその年になったら読ませようと押入れの奥にしまっておいたが、いざその年の近くになってみると。本には匂いがあったり、孫の親たちは自分の子には新しい本がいい。おばあちゃんは邪魔だから捨ててきてという。

かわいそうな本たち。何とかほしい人にあげたりして減ったが、まだまだある。

一体、子どもの本はどのくらい買ったのだろうか。子育てには金がかかるとはいうが、一週間に一冊で年間50冊か、すると6年間小学校だけで300冊、一冊500円としても15万円の投資をしている。子ども3人に合計45万円か。高いともいえないが、その過程で親としての子育ての楽しみがあったかもしれない。

残っている本は図書館へ寄贈して、本当に本の好きで必要としている人が読んでくれたらうれしい。

2005年6月28日 (火)

八郎潟・大潟村新農村

OgataSunset_7716 大潟村(八郎潟)新農村といっても行って見ないと想像がつかない。日本の農村の殻を破った大型村である。今回の旅は大潟村(八郎潟)の干拓計画の段階から入植者の選考にまで関わった妻の父、佐々木令蔵のつながりで、35年前に入植された方たちに招かれた。初めての対面にも関わらず、たいそう歓迎された。

P08501 写真だけでは、まだ大潟村(八郎潟)はわからないだろう。農家の耕作面積は、日本平均の10倍以上の規模がある。当初、耕作面積を一般農家の二、三倍でで落ち着かせようと計画されていた。

池田総理は現地を見学して、10倍にするように指示し、日本農村の理想モデルを実現させようと計画変更した。これは義父から聞いた話だ。首相の威令が届いた時代のエピソードだ。今、入植者350家族、若い人で50代後半から70代、二代目に移っている家族もある。参照:http://www.jsidre.or.jp/com/hpcheck/rekishi/p084_85/p084_85.htm

一般の農家では得られない広大な敷地を得て、米をいくらでも生産できるようになると、米余り、減反政策の時代では軋轢が生じて、種々の問題が起きてきた。成功者は数億の年収の人もいる。中には、チャンスを生かせなくて借金で失敗する人もわずかながらいる。平均年収でいえば、数千万になっている。農家の理想にかなり近いと言える。

ここで取れる米も、今は注文は全国から来ていて、インターネットで日本中に売られている。コメを販売する会社を興した人は年間数十億円のコメを全国に販売している。秋田だけあって、米はあきたこまちが圧倒的に多い。

oogata_7738 oogata7756

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Tobori 大潟村の村内を観光バスでめぐった。興味を引いたのは日本で一番低い山。ここは干拓の土地で、ゼロメートルと言われている。

2005年6月27日 (月)

「恐竜展」長蛇の列

sanntyuu__8282 「恐竜展」にこれほどの人が集まるとは、予想できなかった。6月末の炎天下、これは暑い。「日本人って、これほど文化人だったけ?」上野公園の噴水広場を蛇行すること3回、そこから山登って国立博物館まで延々と列が続いた。「ごらんになるまでに2時間かかります」ここが「最後尾」というプラカードもつ係員のところへたどり着くのが大変だった。

一秒に一人の入場者がいるとして、一時間に3600人、それが朝9時から夜5時まで約8時間、すると2万8000人は入っている。まあ、3万人か。

Zaurusu_8295 麟太郎には、子ども用の説明ガイドを借りてきかせて歩かせる。子どもの頭よりレシーバーが大きくズレ落ちそう。最終日に近づき人が集まりすぎている感がある。

Zaurusu_8288 人気あるというか、よく知られている恐竜は、人がワンサと集まる。肉食恐竜、こんなにも大きい、という感動がない。知られすぎているのかな。いい加減歩いて、炎天下で並んで、疲れ気味のはずだが、最後におもちゃ買うということで、麟太郎は元気だ。目的のものを手に入れて外に出た。

kaidann8357 sa-kasu8349 ソフトクリームを買って食えばもう満足。大道芸サーカスを見て、あとはもういい。歩いて京成の上野から電車に乗ると、眠いと言ってねてしまった。

2005年6月24日 (金)

がんばれ拉致被害者

YokotaMegumi8237ニュース見ていますか。拉致家族の人たち、座り込みのデモンストレーションを始めた。この暑いのにがんばっている。横田めぐみさん、拉致されて30数年。小泉さんの「対話と圧力」というキャッチフレーズには飽き飽きした。

10年前なら、これだけの拉致問題に理解が国民になかった。社会党と自民党に大きな責任がある。自民党の金の延べ棒の故K氏、社会党T書記長、北を訪問も金日成に丸め込まれた。私も、何を隠そう、北朝鮮の社会主義政権だから、いいことと考えて人のためにやっているのだろうとずーっと半ば信じていた。

それでも、疑問だったのは、朝鮮動乱と言われたころ、北軍が中国人民軍の支援で、38度線を南下して村を占拠すると人民裁判をしてかなりの無実の人間を殺害した。その際、韓国の人々8万人を北へ拉致している。そういう無茶な人材がこの政権の中枢にいるとは思っていた。

北朝鮮と韓国は、今も戦争しているという状態には変わりがない。政権はスパイ、五人組のような監視体制を敷かないと持たないと言われている。中枢で真実を知っている幹部が逃げ出す国では、崩壊寸前に至っている。もう一つ、政権内部に北のシンパの人間が入っていると思わざるをえない。

資料によると、北朝鮮の石油消費量は、日本で言うと、一つの県、福井県の消費量とほぼ同じだった。それで2000万人を支配している。その国が原爆を数個から20個作ってしまったという。照準は東京に向けられているという。

Kanboutyoukan8236拉致問題では、横田めぐみさんの骨だといって出してきたものは違う、と立証したときの北朝鮮のあわてぶりには、滑稽ささえ感じた。ところが、もうあのときの事実さえ、今日本国民は忘れてしまっている感がある。もっと怒るべきだ。怒りを持続するべきだ。

日本は専守防衛というが、それは自国民を守ることではないか。確証が得られれば、北へ行って日本人を奪還してきていいのではないか。これは法律上の緊急避難に相当する。外国を攻撃する意味合いとは、違うはずだ。

KimuJonilu_8249戦前の日本だったら、朝鮮上陸してピョンヤン占拠して、金正日監禁しているでしょう。これだけ、やりたい放題されても、小泉総理はまだ圧力をかけないという。

金正男が日本へ不法入国したものをすぐ退去させたのは、一体どういう考えだったのかと思う。あのときの外相は田中真紀子さんだった。あの人でさえ、北を怖がっていた。あの時、あのまま、金正男ジョンナムを留置しておけば、かなりの拉致被害者を取り戻せたのではないか。

もう一つの提案。六カ国協議で拉致問題を議題に乗せないなら、日本は核武装すると宣言するくらいやってほしい。中国、ロシア、アメリカ、韓国を驚かすくらいの手を打って、ダダをこねてもいいのではないか。

Ykota_8264座り込みの拉致被害者家族は、腰抜けの政治家と違って、根性座っているように見える。

2005年6月23日 (木)

娘たち、あと一ヶ月で1歳

ailahina_8148この二人、年は同じで母親が姉妹だから、かなり似ているはずだが、案外性格は違う。一緒に遊べるようになれば、いいかも知れない。お互いに物をとりっこしているが、まだ遊ぶという気配ははい。

あと一ヶ月で1歳になる両人、つかまり立ちはできてもまだ歩けない。このくらいが案外かわいい。右のヒナには兄が居るので、一ヶ月遅れではあっても早く歩くかもしれない。

ailahina22 左アイラは、今日本にいるから日本語で話しかけられているが、あと二ヶ月もするとイギリスに帰ってしまう。父親のドイツ語と母親の日本語で責められて、たいへん。幼稚園に入ったら英語を覚えるという。日本語を最初に教えると言っているが、どこまで可能かわかったものではない。

2005年6月22日 (水)

角館 自転車ツアー

飛行機で帰る家族とは角館駅前で別行動になって、時間があまってしまった。5月末の話である。

秋田角館駅前の貸し自転車へ行くと、店番はだーれもいない。なんや、無用心やなぁ、と思った。自転車は自由に使ってくれということやな。一時間300円という。そこで、一時間だけの自転車ツアーになったわけ。

走り始めて、「武家屋敷はどっちですか。」町の真ん中で聞いちゃった。無計画もいいところ。「真っ直ぐ行くと、郵便局があるから、そこを右に真っ直ぐ」このおばさん、秋田なまりがない。

Kakunodaste791226インチの低めの自転車にまたいで角館武家屋敷へ。角館の特徴は、樹木のうっそうと茂った武家屋敷の通りである。写真を大きめにして見ると、いいね。緑が道路一面にひろがって、心安らぐ。人力車が走 っているのは、演出だろうが、鎌倉も浅草浅草寺にもある。むりにやらなくてKakunodate7922 もいい。この通りにクルマの通行禁止にはできないかね。Kakunodate7899

  一時間自転車を走らせていると、横浜から来た定年後夫婦と出会ったり、「自転車はいいね」と声かかけてくるツアー客がいたり。そうだ、中国から来ている客が多い。台湾からかもしれないが。

ちょうど一時間で駅に戻って、指定席特急こまちで東京へ帰ってきた。

 

2005年6月21日 (火)

蝶を解放する5歳

FlyFree8197 彼は、5歳ともなると、生き物の命に目がいくようになった。今までは捕まえた蝶は自分の所有物だった。それが、最近は捕らえたあと、放してやる気持ちになった。カゴの中に入れていても、結局死ぬとわかってきた。それより、また飛んで帰って来年も命をつないでくれた方がいい、そう思うようになった。

NotFly8207 網で蝶を捕まえても上手にカゴに入れるのが、彼には難しいようだ。網の外から左手で蝶の胸を捕まえ、網の中に右手を入れて押さえていた左手と交代して蝶を捕まえカゴに入れる。この動作が幼児にはうまくいかない。押さえ過ぎたり、羽を持って羽が切れて、解放しても飛べない蝶もいる。

彼の蝶を捕まえる技術は、昨年と比べたら今年は格段によくなった。蝶も必死だから、なかなか逃げ足が速い。それでも、飛んでいる紋白蝶がネットの中に入ると、なんとも言えず、満足そうだ。「気分いいだろ?」と聞いてやると、ニっと笑って、「マアね」と大人みたいな態度になる。

2005年6月20日 (月)

父の日プレゼント

FFlower8224 父の日プレゼントをもらいました。これが、息子だと、こういう種の気づかいは期待できない。大きい親切があるかもしれないから、トータルでは同じになるかもしれないが。娘は考えもしないときに親切にしてくれる。和貴兄弟の憎みあい起こる前の状態ともいえる。

男親としては、なにもしている意識はない。強いていえば、マゴの子守で点を稼いだかな。昔は父の日?母の日?そんなコマーシャリズムに踊らされる行事はなかった。ヨーロッパ式の愛の表現かもしれないが、日本は、従順に文化を取り入れる国だね。農耕文化の国ではなくなったから、当然といえば、当然。

これが、イスラム文化圏だと、そう簡単に自分の国の文化、風習を破棄しない。自国の文化に固執する。あっさり捨てる日本とどっちがいいのか。イラクのスンニ派は原理主義に近い。風習をきちんと守るタイプだから、イランとアメリカは、中世の十字軍遠征と同じ末路になるのではないか。

FEna_8212 長女は、私がいつも帽子をかぶっているから、気を利かせてくれた。右下は、国立博物館の「恐竜展」の入場券をセットにして、夫婦共々サイン入りメッセージ、ついでにアイラ(ゼロ歳)のグチャグチャサイン入り。ヨーロッパの行事、プレゼント意識が濃厚。お互いの気持ちを伝えあうのが、ヨーロッパスタイルのようだ。

FChika_8219 次女は、「クロコダイル」ロゴの入った部屋着。二人も子どもがいると、こまかいメッセージを書いたり、子どもに書かせるという手の込んだことはできない。いいものなら、それでいいという、感じかな。

子育てから解放され、今はマゴの子守という余裕。世代的には、あとはマゴの育つのを眺めていればいい。実際には、そんな余裕はない。

2005年6月18日 (土)

マジック人形 タネ教えて!

MagicDoll 新宿駅前で見かけたお人形です。売っていたのは、30代の整った容姿の女性だった。ひょっとして手品師の弟子?それとも劇団に入っている人かな。説明口調も、立ち居振る舞いも、落ち着いた様子に見えた。

糸も何もないのに、その女性が声掛けたり、指指すと、不思議、不思議、人形は座ったり、立ったり、お辞儀したり、指示に従って動く。しばらく眺めて人形の写真を撮った。売っている女性も一緒に写そうとすると、「私は写さないでください」と断られた。

そのうちに、TVで街角のマジック人形として取りあげらるのではないか。おもしろい人形で、興味がわいた。格好の話題になる。他の人が知らないうちにこの人形を人前で披露できたら人気者になれるかな。一般人ならそれでいいが、プロはそうは行かないだろうが。

麟太郎にこの話をすると、買って、買って!と言われた。買おうにも、今新宿駅西口に行っても、露店だから、もういない。そのとき、なぜ買わなかったか。確か、買う人はいた。しかし、この紙人形で1000円?明日には壊してしまいそう。躊躇してしまった。

この手品、タネがあるに決まっている。磁石だろうか。このタネに価値があるから教えないだらろうが、知りたい。誰か教えて!

2005年6月17日 (金)

焼き場にとかげ

火葬場で待つ時間、人は一体何をすればいいのか。人の肉体の部分がまったく消えて、骨だけになって出てくるまで、この待ち時間、機械の性能によって違う。中津川市では、約3~5時間。

徹夜した斎場控え室から、午前8時過ぎ、斎場職員の指示に従って、男たち6、8人で台車に遺体を乗せて運ぶ。クルマで30分ほど山際の火葬場へ行く。神主さんの祝詞を最後に遺体を見送る。それから、ただ待つだけだった。午後一時が葬儀。

Tokage7686さわやかな晴れた5月末、 周り緑に囲まれた山の中に火葬場はあった。周りを歩くと、石の下からトカゲが出てきた。義兄の生まれ変わりだとは、いっこうに思わないが、なんとしても写真にとってやろうと近づくと、さっと大きな植木ポットの下に隠れてしまう。

何回もトカゲを追いかけて、カメラを構えるから、まわりの大人が怪訝そうに思って近寄ってくる。こんなトカゲを写真に撮る人も珍しいかな。

トカゲは人になつくこともないし、人から好かれることも少ない。恐竜の子孫かとも思われている動物。しかし、つやつやしたトカゲがどうやって暮らしているか、興味がある。

十二時過ぎには、焼きあがった。数日前までは、最長老として一家の重きをなしていた人が焼き場のストレッチャーの上で消えかかった白炭色の骨だけになっている。頭蓋骨と腰骨と大たい骨がわかるが、あとは白い灰だけだ。骨壷に入れた骨がとても熱いのが印象に残った。

2005年6月16日 (木)

愛しの四ツ目川

yotumegawa7674私の知っている四ツ目川は、草が、石が人に踏まれていない未知の部分を持っていた。

中津川市に帰ったのは、義兄の葬儀であった。明け方、中央道バイパス通り(子野)にできた葬斉苑を出て歩くと、子野川の橋があった。その下には手つかずの川があった。魚影が数多く見えた。何の魚かな。はや、もろこ、ウグイ。フナや鯉ではなかった。

yotumeRiver_7673 降りてみると、何か懐かしい風景だった。今から60年前(戦中戦争直後)の四ツ目川のイメージだった。四ツ目川はこういう感じだった。今、力説してもわかってもらえない。自然に対して人が手を加えないとこんな風景になるのだろう。なんで子野川はこうなんだろう。子どもが自然に興味を失っているのかもしれない。

石垣で流れの段差が子どもにはなかなか上れなかった。深みにはけっこう大きな魚もいた。石のウラには川虫も居た。子どもでも掬えるのはドウゼン。はぜの一種かな、そっくりな顔していた。赤いネギハチは刺すから子どもは怖がっていた。草むらにも流れの中には、未知のものがいっぱいあった。

まだ中津には、こういう自然が残っている。中津の景色100選にといったとたんもろくも消えるから、黙っていようと思う。

2005年6月15日 (水)

3びきの子ブタ ただし人間の

Aila_8084 他人の子どもなんて興味ないかもしれないが、見てやってください。長女の子、愛良アイラはドイツと日本のハーフ。物事のイエス、ノーがはっきりしている子。やっと立ち上がり、大好きな水遊びしているところ。誕生日まであと一ヶ月。もうじき歩き始めるだろう。少子化で子どもがめずらしい時代になるかもしれないですよ。

今、言葉でのコミュニケーションはできないが、短い間にかくも変化、成長していく過程は、生命の若葉を見ているようだ。Magos_8091

次女の子、長男麟太郎は5歳、その妹はヒナは愛良と一ヶ月も違わない純粋のヤマト種。シャイな性格で、自己主張は内にしまっているタイプ。

ついでに、ぐち。30歳越している長男にまだ嫁が見つからない。最近お見合いの風習がなくなって、親は世話が焼きがしにくい。司法書士の会社を共同設立してばりばり働いているから、彼女を幸せにできる条件がそろっている、と親の欲目では思っている。優しい性格が押しを弱くしているのかも、と気に掛かる。

ToeicBridge トーイック架け橋 Eラーニング

国際英語検定のToeicをEラーニングでやってみると、大学受験期の勉強と同じような努力が必要であると痛感した。英語は若いうちに勉強するべきだね。

00004 そこで、その基礎になる英語を再度勉強してからと考え、モニターでTOEIC Bridgeをやってみた。これは英検でいうと、4級と3級が一体になっているレベルだった。ネイティブの音声入りで聞くと、あとから見れば簡単な単語なのに、日本人には聞き取れない単語が多いことに気づいた。

間違えると繰り返し勉強させられ、覚えることが唯一の道になっているから、覚えざるをえない。聞いていて絵がイメージできれば、英語が理解できたことになる。あまりに完璧にできすぎると、復習することがないのがさびしいほどだ。約一週間で「リスニング編」を終えることができた。http://www.nozawa21.com/Newton/

6月20日の一般公開に先立ち、モニター使用をしてみた感想である。

ブログランキングというのがあるとは、想像もしていなかったのですが、この記事を掲載したとたん、第7位の「TOEIC得点うなぎ上り者養成ギブス」という方からメールをいただきました。そのHPは、TOEICの文章が出ていて穴埋め問題が毎日出題、それを楽しんでいる様子です。HPの主ヌシは、英語を面白がっているみたいで、会えば楽しい人かな、と拝察。

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しょうがないのう

押したくなるようなセリフには、つい負けました。ここも、押せば「TOEIC得点うなぎ上り者養成ギブス」のランキングアップにつながりますかね。競争が激しいですので、弾き飛ばされそう。

http://blog.with2.net/rank1931-0.html

2005年6月 8日 (水)

小説「孫子の兵法」2

二度目の戦いでは、孫濱は同じ作戦は取らなかった。

SonsiHeihou 斉の孫濱は10万の兵士を率いていたが、食糧が尽きてきたと敵を欺き、一斉退却をする。わざと穀類の袋に砂を詰めて積み上げて残した。退却には一日目は10万が3万人逃亡して7万人に減り、次の日には5万人と、兵が次々と逃亡したように見せた。竃でご飯を炊いた跡で実勢の勢力を魏の国に理解させた。これが孫濱の兵法であった。

それ、と20万の魏軍が追いかける。孫濱の斉軍は3万人に減っている。それを追いつめようと、いっそうホウケンは深追いした。

「斉軍はここを通らなかったか」魏の兵士が聞くと、地元の農夫が答えた。「どこの軍だかわからないが、二、三日前から兵士が相次いで通って行った。最後に幌馬車が通って行ったのが最後だった」斉は敗軍となって、まとまっていない様子が知れた。「チャンスだ。孫濱をい生け捕りにするチャンスだ」

「日は暮れたし、ワナかもしれない」と部下はホウケンを諌めたが「きょうがチャンスだ、日が暮れようが、斉軍を壊滅できるチャンスだ」と暗闇の中、突き進んだ。道が倒木でふさがれていたところに魏の大将ホウケンら一行は来た。そこには、木の幹を削って何か書いてあった。暗くて読めないから、松明をつけてみると、「ホウケンはこの樹の下で死す」と読めた。

松明の灯りがついた途端隠れていた斉軍は一斉攻撃を開始した。弓矢は明りに向かって放たれた。ホウケンの体にはが800本も刺さって死んだ。地元の農夫に扮して斉軍の様子を教えたのも孫濱の策略だった。孫濱は魏の国とホウケンへの敵討ちを成し遂げた。

「敵を思うように動かすには、敵に餌を見せて、敵がこれに食らいついくようにせよ。こうして餌で釣っておいて、兵を待ち伏せて撃てば、きっと勝つことができる」(孫子の兵法)

春秋戦国で既にあらゆる人間の思考回路に関しては考えつくされ、中国本家では、「孫子の兵法」は子どもでも知っている常識。それが10数億の民の中から特に知恵の回る者が、外交の専門家になっている。であるから、日本の総理が「正直に適切に判断する」程度の知恵で立ち向かえなさそうだ。

2005年6月 7日 (火)

小説「孫子の兵法」1

SonsiHeihou 「孫子の兵法」は、紀元前の春秋戦国時代のころのことである。足切断して刑とするとか、忠誠の証として妻を殺すとか、人間の営み、本能は限界まですべて分析、人間の知恵も極限まで描写している。多分人間、こういうことをやって、子々孫々生き延びてきて、現在の人間が存在しているのだろう。

斉の国にいたマゴの孫子(孫濱ソンビン)が魏の国の大将にになった友人ホウケンから手紙をもらい、魏へ招待されていく。ところが、魏では、ホウケンの策略で孫濱ソンビンを斉のスパイであるとされ殺されかかった。殺されない代わり、孫濱は両足を切断され、かつ額に黥(イレズミ)をされ魏に幽閉された。このような姿では生きていくことは困難である。

孫濱は知恵を絞って「きみのおかげで、命が助かった。感謝している」と彼を油断させようとした。廃人になりきり、チャンスをうかがうが、なかなか友人を油断、安心させるまでには至らない。

何年後か、祖国斉の国から大臣が来た。歩けない孫濱は、買収した人間に手紙を持たせ、救出を願った。その数日後、とうとう救出されて、斉へ帰り、軍事顧問になった。

これからが、「孫氏の兵法」の最後の部分である。斉の国の軍師となった孫濱の逆襲である。

魏は隣国との戦いで本国が手薄になった隙に、孫濱の斉軍は突いた。勝ち誇っていた魏の大将ホウケンは本国が攻められたと聞いてあわてて帰国。孫濱はすぐ引き上げ、魏の軍隊が戻るとき通る関門、隘路で待ちうけ大勝利を得る。

「敵の大将は誰だ」「孫濱という男です」「孫濱は歩けないはずだ」「ほろのついた馬車を駆使して指揮しています」「殺しておけば、魏の軍隊がこれほど惨めに負けることはなかった」とホウケンは悔やんだ。

2005年6月 1日 (水)

「釣りバカ日誌15」ロケ隊が秋田へ来た

TuriBaka 「釣りバカ日誌15」ロケ隊が 秋田西木村(田沢湖)へきて、大騒動したというおばさんの話を聞いた。

ここの家は妻の母の実家で、明治初年の建築という古い歴史のある家、庭も広く、まわりは田んぼ、田んぼの田舎である。

話は、江角マキコの薫が祖母の家を訪ねたという設定らしい。薫の祖母の家にこの実家が選ばれた。おばさんのおじさんも、定年退職して時間もあるからでもないだろうが、バスから薫が降りてくるシーンの乗客におばさんエキストラに出たという。相当回数リハーサルをしたようだ。

DSCN0008また、ロケ隊の控え室にここが利用された。なにせ、おばさんの生まれた家はお客あしらいが上手で楽しい家だから、みんなが集まってくる。そんな MissAkitakomati7868 使い勝手のいい家は、有名な映画ロケ隊でもそうそう都合いい家に当たるものではない。 だからか、江角マキコさんとウチの人たちはたくさん記念写真を撮っていた。

孫娘(ミス秋田小町)、江角マキコと記念写真。池に落ちたスズメを江角さんが助けて、託して東京に帰ってから、そのスズメに餌をおばさんに送ってきたという美談で新聞は報じている。このとき、江角マキコさん、「国民保険未加入騒動」から復帰後、1号作品?だったのかな。

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